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最初に
まずは一言
この作品を作り上げてくださった監督、スタッフ、演者、関わる全ての皆様にありがとう。
これに尽きる。
もうこれ以上書くことはない。
では終わるつもりが無かったのでこの記事を書いているがこの後は正直ただの蛇足。
深く鋭い感想や考察が書けるわけではないが、考える事が止まらない思考を文字にする事で少しでも熱を放出して自身を落ち着かせようという魂胆である。
今回、物語に対して「正解」を示さず色んな解釈を楽しんでもらいたいというのが監督の意向でもあるようなので本当に好き勝手に妄想をさせて頂く事にした。
本当は色んな方の考察を見て回りたいがまずは他になるべく影響される前に自分が抱いた想いをぶちまけてからゆっくり様々な解釈を観ていきたいという気持ちが強く初日に映画館に行ったにも関わらず他の方の感想をまだ見ることが出来てい居ない。早く書き終わって読み漁りに行かなければ。
1回目観た時点で書き始めたかったが時間がなく、昨日2回目を観てきてしまった。
分かっていても、分かっているからこそ涙するシーン、気になる点がいくつもあってまだまだ何度観ても楽しむことが出来そうだ。
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神を名に冠する者とそうでない者
1年間、テレビシリーズを視聴し、各映画にも足を運んで観ていたはずなのにVシネオリジナルのキャラクター「間宮」の名前について考えていた時に今更、本当に恥ずかしながら今気が付いた事がある。
簡潔に言うと現代組剣士の名字全てに「かみ」か「しん」の言葉が入っている事だ。
小説家で剣士になった主人公「神山飛羽真」についてはさすがに「神」と「紙」がかかっているのだなという事は分かっていたのだが、
「しん」どう、ふ「かみ」や、お「がみ」、あ「かみ」ち、だい「しん」じ、「しん」だい
まさか全員に神-かみ-しんの文字が入っていたとは。テレビシリーズが終わってそろそろ半年。今更過ぎる。
そんな事とっくの昔に知ってますよ、何を今更と石を投げられるかもしれない。
まぁ、顔から火が出る程の羞恥は横に置いておいて、今回の間宮についてだ。
間宮は自分の父親が亡くなる切っ掛けとなった戦い、それを行っていた剣士達への復讐に取りつかれ、8年もの歳月を掛けて行動してきた。
そんな間宮。「かみやま」と「まみや」。とても名前が似ていたな、というのが初めて映画館で観終わった後に抱いた感想だった。
そこから各キャラの名前を調べて上記に至る訳だ。
「かみやま」から「か」を抜くと「みやま」。並べ替えると「まみや」になる。
「か」を抜くことで「神」を意味する言葉が無くなる。
セイバーという物語においてそれは神になり損なったもの。神にあだなす神あらざる者を示す名とも言っていい存在として命名されたと考えている。
そのため、神山から抜き取る文字は「か」「み」のどちらかに限定される。
ではなぜ「か」が無くなったのか。名前として成立させるだけならば「み」を抜いて「香山」などでも普通に成り立つ。
今回、物語の重要なキーワードの1つに剣と火がある。
か→火、炎の剣士セイバーを拒絶する者。それが「間宮」という存在だったのではないか。
あらゆる神話に於いて「火」とはとても重要な存在であり、そこには「人類の文化発展」と「剣」も関わってくる。
ギリシャ神話の全知全能の神ゼウスの目を盗んで人類に「火」を与えたプロメテウス等々。
「火」を使えるようになった事で夜や冬に暖を取ることが出来、火を恐れる獣たちから身を守る術となり、金属を加工して武器を生み出す事が出来るようになった。
「火」を手にし、「剣」を取り、それはただ狩猟をして生きやすくするだけでなく人間同士の争いを激化させた禁忌でもあった。
刀鍛冶として火と武器と切っても切り離せない大秦寺さんが組織を抜けてまで最初に炎の剣士仮面ライダーセイバー・神山飛羽真の仲間となったのもこう考えると納得の一言。
深罪の三重奏で激突する飛羽真と間宮。セイバーとファルシオン。
どちらも火を司る剣士。
神から授かった「火」と「剣」の力を用いて神を討つ力を得た間宮。そして協力者の結菜と篠崎真二郎。
ちなみにこの法則でいくと倫太郎の父・篠崎真二郎にも「しん」の文字が入っている。
こちらは名字ではなく、名前。
元々剣士だったのかどうなのかは劇中で明確には語られていない。
天から地に堕ちた者?など考える事は色々あったがさすがに検証するための情報量が少なすぎたのでここについては深く考える事は止めにしておこう。
ただ、1つだけ、これは考察でもなんでもなく、ただの思いついてしまったギャグなのだが、「俺は嘘はつかない!」と食い気味に倫太郎に言う父・篠崎真二郎の名前が「信じろう」なんだなと、ふと思ってしまって。すみません、ちょっと一人で笑ってました。ほんとしょうもなくてすみません。さすがにここは意図してない部分だと思うのでほんどごめんなさい。100回ぐらい謝り倒したいのに文字にせずにはいられませんでした。すみません。
気を取り直して。名前という所でいくと先代セイバーは上篠大地で今回飛羽真が息子として育てているのは陸君でどちらも「地」を意味するな、とは思ったがここから先にうまく思考を繋げれなかった。
ここも地に堕ちたもの、で纏めようかと思ったが上篠さんと同じくカリバーになった賢人の父の名は隼人だったし「地」繋がりな訳でもないな等。
「間宮陸」に関しては神ではない存在としての名前だとは思うがこの辺りどう考えてつけられた名前なのかは制作陣に聞いてみたい所ではある。
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罪と愛の物語、そのタイトル
「神」といえば。
今回のタイトルは「深罪の三重奏」
紙→神→かみ→しん→深
↓
sin→罪
どこまでが考えすぎの妄想の範囲なのか、どこまで意図されたものなのか分かっていないが「罪深い」ではなく「深罪」という造語を使った事にはやはり意味があると思っている。
「深罪」それは神々(剣士達)の罪を糾弾される物語なのか。
「三重奏」三人のセイレーン達の歌声。
例え、人類の未来のため、亡くなった声なき声のためだとしても人の物語を書き換え、神の存在を消していくセイレーンに魅入られた三人に下る神罰(結果として全員死亡、もしくは存在が消える)の物語なのか。
物語が終わりエンディングが始まる時、罪は愛に、三重奏は四重奏となり、「深愛の四重奏」とタイトルが書き換わる。
「Bittersweet」な愛を歌う四人の歌声。
『物語の結末は俺が決める』
それはマクロ視点での物語のタイトルさえも変えてしまう作家・飛羽真の力か。
初めて観てタイトルが変わった瞬間。堪えきれず涙を流した。
そう、間違いなくこの作品は「愛の物語」。
親愛、恋愛、友愛、様々な愛と絆が世界には存在している。
人が人を覚えていること。きっとそれらは愛だ。
倫太郎と賢人は他の人全ての記憶から消され、最後に残るは彼の存在を世界から消したいと願う剣士への復讐者達だけ。
本人の前に姿を現して戦ったりせずとも、人知れず自身の中からセイレーンの力を使って記憶を破り捨てるだけで剣士への復讐は完了し、契約満了を迎えることが出来るはずだった。
でも、それでも自分の手で記憶を消してしまう事を拒否する心を見過ごすことは出来ず。一騎打ちという形を取り、記憶を持ったまま自分の手で愛する息子、愛してしまった婚約者を殺してこの世から消すか、自分は彼の記憶を放棄せず、でも死ぬ事でこの世界から彼を覚えている全ての人を消して彼の存在を消すか。もし殺せず、殺される事がなかったとしてもセイレーンとの契約により、無銘剣に殺される必然の未来。
どう転ぶにせよ、自分の事を覚えているのがファルシオンとなった各々だけとなってしまった時点で倫太郎と賢人がこの世界から消えてしまう事は確定となってしまった。
なんて不器用なんだろう。愛さえ持たなければ淡々と消してしまえたのに。そこには確かに愛があり、愛を抱いているが故に身を滅ぼした真二郎と結菜。
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間宮と陸と仮面ライダー
間宮は2人とは違い飛羽真の存在を自分以外全ての人から消す段階までは届かなかった。
最後の2人、ラッキーと陸の中から飛羽真の存在を消すに至らなかったから。
正確な台詞は忘れてしまったが、間宮が飛羽真に対して「縛られる」という言葉を使う。そして最終的に自身に対しても。
作り上げ、書き換えた嘘の記憶。
自分が幼馴染であるかのように。何年分もの飛羽真と幼馴染の間宮という人物を飛羽真の記憶の物語に記していった。
父の仇として復讐するはずだった相手と自分の関係を考え、記す内に本当は自分自身が飛羽真を心から大切に想う友人であるかのように錯覚している時間と、妄執に取りつかれた本当の目的を思い出す自分とで行動がごちゃまぜになっていったのではないだろうか。
だからこそ消えかける飛羽真に驚いて注意を促したり、手当だけさせて欲しいと懇願していたのではないだろうか。
良き友人の振りをしている、では説明がつかない言葉、表情がそこかしこにあった。
間宮=陸であり、陸にとって、間宮にとっての剣士に殺された父が飛羽真である事を示唆する場面。
幼い陸が剣を手にし、間宮青年と陸少年の2人に分かれた時点で飛羽真は死んではいなかった。
この辺りは本当に複雑に物語が絡み合っているので自分の中でまだ明確な答えを抱けてはいないが陸少年は何度もループしていたのか。
剣士(間宮)が父(飛羽真)を殺す場面を見て、剣士を恨み、剣士を消さなければという想いがまた幼い陸少年に剣を取らせまたループしていたのか。
間宮は未来(結末)が見えていてそれを過去だと思い込み、陸が声を発し飛羽真を父だと認めたあの瞬間、自分が今殺そうとしている剣士はあの日炎越しに背中を見た父そのものでそんな父を殺そうとしているのは自分だったと認識が出来るようになっただけなのか。
剣士を倒すために自ら剣士となり他の剣士達を消し、自分を育てた飛羽真を殺し、そして剣士である自分を否定する。
同族争い、親殺し、自己否定というえば仮面ライダーという作品を表すキーワードであるが、陸は、間宮は、まさしく仮面ライダーだった。
正義とは、立場によって変わるもの。
声なき声を守るため、争いの原因となるものを取り除こうと陰に日なたに仮面を被って活躍する彼らは敵と同じ力を得て、その力で敵を制す正義の仮面ライダーだったのだ。
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セイレーンの力と伝承
新たなワンダーライドブック「アメイジングセイレーン」
セイレーンと言えば海で歌を歌い、船乗りたちを魅了して船を難破させるというイメージだったので今回の物語に出てくる「記憶の改鼠」という力とは正直一致はしなかった。
今もその点に於いてセイレーンがブックとして選ばれた理由は掴みかねてはいるがそれ以外の点でここがセイレーン要素だったのかなという点は調べていて色々と出てきた。
何故、ブックが分冊されたのか。
セイバーという作品で初めて見た能力だった。
何故セイレーンは本が分かれる事が出来たのか?
セイレーンを調べてみると複数の姉妹(人数は諸説あり)で構成されている事を知った。
三人姉妹の場合、「白」「金切り声」「処女の声」という構成とも言われているとの事。
「金切り声」
陸が初めて飛羽真に出会った時の叫び声は耳障りな程の高音・音量で、そのすぐ後のシーンでや音量を下げて不快度が下がって台詞を聞きやすく調整している所を見るに物語にとって重要なシーンでわざとそうしていたのだろうなとは思っていたがまさかセイレーンを調べた際に「金切り声」が出てくるとは思わず、そうかあのシーンはこの事を指していたのかな、と。
陸の金切り声に呼び寄せられた飛羽真がいたから深罪の三重奏は動き出した。
「処女の声」
これは分かりやすく結菜の事だろう。
結婚式を挙げる予定だった教会で賢人を待つ結菜。
彼女はバージンロードを歩くはずだったその場所を賢人と決着をつける場として選んだ。ランプドアランジーナのブックを使うエスパーダ。翻訳の仕事をしてあらゆる物語を見てきた賢人は千夜一夜物語の力を顕現し、その力で決着をつける。
新たな物語が加えられ、様々な解釈があるとされる千夜一夜物語。
2人が過ごし、紡いだ幾日もの夜は結菜が心に決めていた結末を揺らがせ、自分の手で記憶を消す事も殺す事も出来ず、契約不履行で自分が死んでしまう事が分かっていながらも自分より少しでも長く生きて欲しいと願わずにはいられなくなってしまった。
「白」
アメイジングセイレーンの力により、白い姿として登場。
ファルシオンに変身した3人の内、唯一変身シーンが披露されたのは篠崎真二郎だけだった。
セイレーンの白い翼に包まれながらの変身。
亡者の幻覚をブレイズ・倫太郎に見せるファルシオン・篠崎真二郎。
セイレーンといえば大勢の人たちの「死」のイメージが強い。
記憶の改鼠よりよほどセイレーンらしいと思える能力だ。
セイレーンがどこから来たのか。人々の無念の死が全てを無に帰す無銘剣虚無と共鳴し、惹かれあったのだろうか。
倫太郎は助けることが出来なかった人々を背負い、それでも戦う事を止めない剣士としての決意を見せつける。
ブレイズの最強形態「氷獣タテガミ戦記」となり、白き鎧を身にまとう。
翼を広げ、ライダーキックをファルシオンに打ち込んだブレイズはとても神々しかった。
白と白の対決。
互いに会えてよかったと。篠崎真二郎が息を引き取った瞬間、手を取り合っていた倫太郎も世界から消えていった。
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セイレーンの誘惑と契約不履行
「そういう契約だったから」結菜の残した言葉。
力を与える代わりに剣士達を消すという役目を果たさなければ死んでしまう。
それを知っていてもなお交わした契約。
セイレーンについて私が知っていたのは本当に船乗りたちを歌で惑わし難破させて死の山を築いてい半鳥、もしくは人魚のようなものである事。
そして、その声を聴きたいがために柱に体を縛り付けて無理やり歌声を聞いた男(オデュッセウス)がいたという事ぐらいだった。
間宮が発した「縛られている」という言葉は少しここが関わってきているのかもしれない。
だが、実はその先があり、セイレーンの歌声を聞いたのに生き残った人間が現れた時にはセイレーンは死ぬ運命であり、オデュッセウスが生還したため海に身を投げて自殺し、死体が岩礁の一部になったというのだ。
なるほど、そうか。
だから、倫太郎に倒された真二郎はもちろんの事、賢人がセイレーンから結菜を解放するために変身解除に留まった結菜はセイレーンである自身と対峙したにも関わらず賢人が勝利し生き残ったから、セイレーンとなった結菜は無銘剣虚無に殺されてしまったのか、と。
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消えた無銘剣虚無、消えなかった飛羽真
飛羽真と過ごした世界から間宮の存在も陸と一緒に最終的に消えてしまった事を考えるとやはりセイレーンと交わした契約は絶対だったとも言えるし、間宮と陸に関しては起点となる陸少年が無銘剣虚無に吸い寄せられ伸ばした手を抑え、逃がす事に成功した事で難破するはずだったその先の人生から逃れる事が出来、陸が生き残る人生を選べてしまった事でセイレーンと契約していた無銘剣虚無は誘惑に失敗し、消滅したのではないか。
何故、飛羽真は消えなかったのか?
ラッキーが寿命を迎え、間宮と陸が消え、人々の記憶から消えたはずの飛羽真は倫太郎や賢人と同じ道を辿っていたはずなのに。
もしかするとセイレーンの力は分冊可能、記憶の改鼠、契約不履行時は契約者を死に追いやる、だけで剣士を消した力は無銘剣虚無の無に帰す力の方だったのではないか?
間宮や陸が消える前に無銘剣虚無が消滅した事で全ての人の記憶から消えた飛羽真は生き残る事が出来たのではないだろうか。
セイレーンとどういった契約を交わす事が出来るかは分からない。
ただ、最後、飛羽真はアメイジングセイレーンのワンダーライドブックを手元に置いている。
セイレーンと無銘剣虚無による影響が何もなかった世界で小説家としての仕事をしながら世捨て人のように天に近い場所で日々を過ごしている。
そもそもの所に立ち返る事になるが、あれはループした世界だったのだろうか?
セイバーの世界で既に何度も繰り返される世界を見る力が存在する事を視聴者は既に知っている。
カリバーの暗黒剣月闇の力で賢人は何度も何度も世界をやり直し皆が犠牲にならない世界を探そうとした。
その時のように、実際の世界には何一つ影響は出ていないが、飛羽真がセイレーンの本を手にした瞬間、深罪の三重奏の世界に囚われていただけの可能性もあるかもしれない。
金切り声を上げていた陸の8年後の姿が飛羽真の子供として過ごしてきた陸の姿だ。
あの時点で制服を着ていないからどんなに年齢が上でも12歳。起点の年齢は4歳。
逆に歩ける年齢という事で1歳以下もないから9~12歳という範囲に絞られる。
12歳の陸が間宮の姿になり、原稿を出版社に送るようになるまでの年数は少なくとも更に8年はいるだろう。
最後に見た飛羽真と芽依ちゃんは何歳だったのか。
あの眼鏡は何を意味するか。
物語を紡ぐ喜びを報告してくれた息子の作品。
目を通さなくても良いものだと分かる飛羽真はどこで何を見てきたのか。
セイレーンの力を3人は人の記憶から剣士達の記憶を消していく事に主に利用していたが。間宮が飛羽真の幼馴染だと思い込ませたように無い記憶を書き込む事だって可能だ。
売れっ子小説家の神山先生の力があれば無から有を生み出す事が出来るだろう。
最初から現実世界に影響がなかったのであれば特に問題はないが、仮にループが最後の戦いで止まり、そこから先に道が進んでいたのであれば記憶を変えられた全ての人に自道に剣士達の記憶を物語の頁にたった1人で差し込んでいって何年もの月日が経っていた。そのための眼鏡だったりしたのかもしれない等。
この辺りはもう正解が提示されない限りは無限に可能性があり過ぎるので纏めるという事は出来そうにない。
これだけ書いてまだ完全燃焼しきれないのがこの作品の恐ろしい所だ。
なんと罪深い事か。
大阪住まいなせいで監督さんのトークも聴ける回などに参加出来なかったのが口惜しい。
ゆっくり考えるとまだまだ色んな事が深堀出来るし、自分で拾い切れていない箇所にも気づいてしまう予感がする。多分このブログを書き終わってからもあーでもないこーでもないと一人唸り続ける事だろう。
それが幸せな時間でもある。
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最後に
剣士達はこれからも覚えている人達がいる限り、生き続けてくれる。
それはきっと50年後の未来でも。
人生にも物語にも正解はなくて、世に放たれたストーリやキャラクターは受け取り手の中で新たな解釈を成され、育っていくのだろう。
同じ種を植えても1つとして同じ形の木が育たないように。
この作品が少しでも多くの人の目に触れますように。
こうやって書き連ねた感想が制作陣が今後新たな作品を産み出していく栄養剤の1つとなれますように。
そうしてこれからも素敵な作品とまた出会えることを心から祈っています。
仮面ライダーセイバーの現時点での最後の作品でこんなにも素晴らしい物語を紡いで頂けた事本当に、本当にありがとうございました。